Netflixで世界の今をダイジェストというシリーズで「ダイヤモンド」の回をみて面白かったのでメモとして残す。
ダイヤモンドの大量発掘が事の発端
19世紀後半に南アフリカでダイヤモンドの鉱脈が見つかるところから話は開始する。1870年に17歳のイギリス人セシル・ローズが派遣され、ロスチャイルド家の支援を受けて1881年にデビアス社を設立。南アフリカで見つかったダイヤモンドが多すぎて値崩れを回避するために流通量を管理する作戦を開始する。
世界のダイヤモンド生産の9割を掌握する規模になったデビアス社だったが、各地で新しいダイヤモンド鉱脈が発見され、20世紀の前半は苦戦する。金生産を行っていたアングロアメリカン社が筆頭株主になり、発掘→流通→販売までを管理できるようになり復活する。現在も世界中でダイヤモンドをPRし生産販売をしている。
現在は、ダイヤモンド生産販売においてデビアス社1強では無くなったが、各社がデビアス社の戦略を模倣したため、ダイヤモンドの価格は下がらずに高いままとなっている。
さて、元々高くなかったダイヤモンドをここまで価値のあるものにしてきたデビアス社が今までに実践してきた作戦をまとめる。
デビアス社の戦略
1. 流通量の管理
大鉱脈の発見でダイヤモンドの値崩れを危惧。そこで、1870年代競合の買収を開始し、20年以内に世界供給の90%を掌握するまでになった。需要に合わせて流通量をコントロールしやすくした。
2. 供給を制限
生産したものを備蓄した。需要が少ないときは備蓄に回すので、流通する量を制限して値段が下がることを防いだ。この結果、ダイヤモンドの寡占状態を維持できた。ダイヤモンドは金属加工に利用できるため、武器、兵器を生産したい国にとっては必要なものであった。
3. 需要喚起
世界恐慌でダイヤが売れない、むしろ売られるという事態になった。売られないように、「ダイヤモンドは永遠の輝き」というPRを実施し、現在でも認知されているほどの大成功を収める。結婚でダイヤの指輪を送るPRも実施し、アメリカでは、1939年に10%が1989年には80%になった。日本では1967年に0%が1987年には70%になった。
4. 成功の基準に結び付ける
人生で成功していると感じるようにPRをした。最初、アメリカでは「給料の2か月でダイヤの指輪をプレゼント」するのが普通とPRし成功する。その次に日本では「給料の3か月でダイヤの指輪をプレゼント」するのが普通とPRし成功する。
5. 価値の決定
消費者が価格に納得できるように価値の基準を提示した。ダイヤモンドでは4つのC。
CUT: カットは深すぎず浅すぎないものが良い
COLOR: 色は無色か鮮やかな色のどちらかが良く、中間は価値が低い
CLARITY: 透明でマントルの混入物が無いものが良い
CARAT: 大きいほうが良い
6. 価格をマーケティングに使う
人は詳しく知らないものに対して「高く売られているものは良いものだ」と認識する習性がある。価格を上げると需要が上がる製品をヴェブレン財と呼ぶ。これをうまく利用し、高く売ることで「欲しい」と思わせることに成功。
ダイヤの資産的価値はどうか
低い。これは明確。買った瞬間に実際の価値は30%以下に落ちる。つまり、株取引所みたいな自由に売り買いができるダイヤモンド指輪取引所があったとしたら、ジュエリーショップで売られている7~9割引きで取引されるべき商品ということ。
結婚指輪で贈るダイヤというイメージがあるが、これは新品で買い求める人が多く、(永遠の輝きにもかかわらず)中古は値段が低めになる。
さらに、人工ダイヤの方が透明で混入物が無く、天然物より品質は高い。それでも、天然ダイヤを一般の人が買い求める。
私が大富豪になったら資産はダイヤでなく金にしようと思った。