2017年3月26日日曜日

福島の綺麗な自然と食べ物。震災後初めて旅行行ってきました。

3月18日、19日、20日の3日で福島旅行をしてきた。
震災から6年、実際に福島に足を運んだのはこれが最初だ。
現在も福島第一原発の周辺は避難地域があり、放射能汚染はまだまだ続いている。
そんな中ではあったが、自分の目で見ておきたい、福島のためにお金を使いたいという気持ちで旅行に行ってきた。その記録の一部。

知人と水戸で集合してから、知人の車で南相馬へ移動した。海沿いは津波で壊滅した地域であり現在は更地になっている。高速道路を降りてから海に向かう途中のスーパーでお供え用の花束を購入した。ちょうどお彼岸用の花束を売っていたので良かった。特に目的地を決めていた訳ではなかったが、北泉海水浴場というところに向かった。


海の側は更地が多かった。また、新しく作られたか増設された、白い堤防が目に付く。海水浴場は今まで見たことないくらい綺麗だった。石やごみは無く、平らでまっすぐ海に続いている。津波被害の後、海水浴場の砂を入れなおして作ったに違いない。ゴミがなく綺麗なのは人が来ないことの裏返しかもしれないとも思った。



海の水も東京周辺とは比較にならないほど透明で青々としている。消波ブロックの上まで行って、途中で買ったお花を海に投げて手を合わせてきた。震災の時に東京にいた私は津波を直接は受けていないが、亡くなった方には自分が何もできず申し訳ない気持ちを感じている。



3月ではあったので海水浴客はいなかったが、サーフィンをしに来ている人はちらほらいた。少し風のある日だったので、波も大きめできっといいサーフィンが出来たと思う。(私はサーフィンをやったことはないが。)

時間はちょうどお昼になっていたので、いなか食堂という道沿いの店に入った。店は大きくはないが、子供から老人まで地域の人が多く利用しているようで盛況であった。味もしっかり、量もたっぷりで満足だった。

その後、いわき市に移動して、福島県の建築物としては唯一の国宝、白水阿弥陀堂を見学し、ハワイアンズに行った。
ハワイアンズは以前から名前は知っていたし、東北で一番集客力のある施設とのことで、どのようなものか興味があった。おっさん2人で水着で入る温泉みたいなところに行ったが外は寒いし、温泉はぬるいしイマイチだった。というか、周りは子供がボールを使ったりしてキャッキャ遊んでいる。遊んでものぼせないようにお湯の温度が低めに設定されているのだ。よって、ハワイアンズは、大人が遊ぶところというよりは、子供or家族が楽しむ施設と認識した。

夜はいわき市内で宿泊先にしていた湯本駅近くのビジネスホテルから、徒歩で行ける地元のすし屋に行った。ここで、長居をさせてもらったのだが、そこのオヤジさんから震災について聞いた話を記録しておきたい。

治安について。

  • 震災直後、警察が原発に連れていかれいわき市内の治安はかなり悪くなった
  • ATM破壊や婦女暴行などもかなりあった
  • 警察は人手が足りず、夜8時に女性が一人で出歩いているのを見つけたらタクシーで家に送ったこともあった
  • 治安が悪くなる原因は、警察がいなくなると同時に、ヤクザが連れてきた人が地域に入ってきたことも影響していると思われる
  • 原発周辺で作業するときに身に着ける白い防護服を着たまま、湯本駅付近をふらつく人もいた
市長と市民について。
  • 震災直後、いわき市市長が県外へ逃亡したためいわき市民が見捨てられた
  • 届いた食料物資は、いわき市長の印鑑が無かったため配布されず、そのまま腐らせたものもあった
  • 山のように積まれた薬もいわき市長の印鑑が無かったため配れず、薬が必要だった老人等は亡くなったかもしれない
  • いわき市が要請できなかったため、自衛隊が震災直後に、救助、がれき撤去に入らなかった
  • がれきをどうすることもできないと地元の高校生がFAXを送り国の命令で自衛隊が派遣された
  • 腹を立てた一部市民がいわき市長自宅に石を投げこむ等したが、特に暴動等は聞いていない
  • 物資が足りておらず、スーパー再開の際には長蛇の列ができて整理番号が配られた
  • スーパーでの買い物を待っているときに雨が降り出し、放射能の雨を避けるため店員の制止を押しのけてスーパーの中へ入る等の悶着はあったが、それでも中で順番を守っていた
  • ガス、水道が止まったが、電気があったのがせめてもの救いだった(福島は東北電力)
  • すし屋をやっているが、暖流と寒流の交わる福島の海の幸をお客には出せない(自分では食べるが)
  • いわき市の住民への手当は一人当たり12万円と水が配られた程度
  • 観光客が減っても、福島のものが売れなくなっても東電と国は保証してくれない

避難民について。

  • ゴミの分別やマナーの悪い避難民が多すぎる(体感で9割)
  • 避難先で仕事を見つけ、真面目に生きているいい人もいる(体感で1割)
  • 避難民には初期は一律で20万円+震災前の給料が保証され、税金も免除になった
  • 赤ん坊も年寄りも一律20万円というのは良くなかった
  • また、着の身着のまま逃げたということで、領収書を切ればどんなに高級な衣服でも東電に費用を請求できた
  • 4人家族だったら震災後、既に最低1億円は収入がある
  • 仮設住宅に住んでいるうちは無課税で、手に入れた補償金で不動産投資をしている人もいる
  • 今でも病院の医療費が無料なので暇つぶしに利用している人もいる
  • 仮設住宅の前には高級外車が並ぶ
  • 避難民の人たちが高級外車を買うときはキャッシュ一括で買う
  • 仮設住宅の前に止めてあった車にペンキがかけられる事件があったが、恐らくストレスのたまったいわき市民がやったのだろう
  • 避難民は補償金でパチンコをしていたので、いわき市には雨後の筍のようにパチンコ屋が増えた
  • 日本で最初に新台がでるのもいわき市だとか
  • 避難民が地域コミュニティーを壊している
  • 十分な補償はされているのだから、早く帰ってほしい(避難解除されても帰らない)


津波で家を失った被害者が、時間を経て加害者になっている現状に驚き、悲しみを覚えた。教訓としては、市長がいなくても救援物資を配れる体制が必要だった。これはどこの自治体でもいえることなので、準備をしておいてほしいものだ。むしろ、今回の緊急時には職員がクビを覚悟で物資を配る等してほしかった。テレビやインターネットではなかなか聞くことのできないリアルな意見が聞けて良かった。今後の人生の役に立てたい。

2日目は、会津若松へ行き、武家屋敷、鶴ヶ城、白虎隊慰霊碑、鶴ヶ城攻撃砲台跡などを見てきた。それまで、あまり歴史に興味が無かったのだが、一気に幕末の歴史に興味を持てた。勉強してからまた行ってみたい。宿泊は、磐梯熱海温泉(ばんだいあたみおんせん)の旅館だったが、立派な旅館でお風呂も気持ちよく良かった。

3日目は、長年お世話になっているアサヒビールの工場見学をした。お土産にスーパードライのTシャツを買った。


色々と勉強になるいい旅行だった。福島の自然キレイだし食べ物美味しかった。もし、復興支援でお金を使いたいなら、寄付ではなく、旅行するなり物を買ってあげてほしい。そうしないと、そこで頑張って働いている地元の人にお金が届かないから。